第56話|あの季節のこと——記録を終えるにあたって

第56話|あの季節のこと——記録を終えるにあたって

記録を書き終えたのは、
冬の終わりの頃でした。

窓の外は、
まだ少し寒かったけれど、
光の角度が変わりはじめていて、
春が近いことを
静かに知らせていました。

パソコンの画面を閉じたあと、
しばらくそのまま
椅子に座っていました。

何かが終わった、
という感覚は、
思ったよりも
静かなものでした。

55話分の記録を読み返してみると、
書けなかったことのほうが
多かったと気づきます。

うまく言葉にならなかったこと。
書こうとして、
途中で手が止まったこと。

母の最期の時間については、
この記録には残していません。

それは、
書く言葉が見つからなかったからではなく、
あの時間は
言葉の外にあるものだと
感じたからです。

静かで、
穏やかで、
家族が揃っていた。

それだけで、
十分だったのだと思います。

母が逝ったのは、
冬の日でした。

あの日から、
冬が終わり、
気がつけば桜が満開になっていました。

花の色は、
去年と変わらないのに、
見ている自分は
どこか違う場所に立っている気がします。

寂しい、と思うかどうか。
正直に言えば、
まだよく分かりません。

日常の中に
ふと空白のようなものを感じる瞬間があって、
でもそれが
悲しみなのか、
慣れていく途中なのか、
自分でも判断がつかないでいます。

ただ、
桜はやはり美しくて、
その前では
余分なことを考えられなくなる。

そういう季節が
また巡ってきたのだと、
ただそう思っています。

母と過ごした最後の時間が、
私の中で何かを変えたのか。

それも、
今はまだ分かりません。

ただ、
仕事で相続や遺言のご相談を受けるとき、
以前とは少し違う場所から
話を聞いている自分がいます。

書類の向こうに、
必ず誰かの生活があって、
誰かの時間があって、
誰かとの別れがある。

それを、
頭だけでなく
体のどこかで知っている、
という感覚。

母が教えてくれたものは、
そういうことだったのかもしれません。

同じように
親の病気や介護と向き合っている方、
あるいは、
いつかそのときが来ることを
どこかで感じている方。

この記録が、
何かの答えになるとは思っていません。

ただ、
同じ時間を生きている人が
どこかにいる、
ということが、
少しでも伝われば。

それだけで、
書いてよかったと思えます。

今年の桜は、
母のいない春に咲きました。

去年、一緒に見た景色と
同じ場所に立って、
同じ色を目にしながら、
少しだけ違う風を感じています。

それでも、
桜は満開で、
空は青くて、
生活は続いています。

この春を、
ちゃんと生きていこうと思います。