第5話|手術後の夜——母の表情に見えた“別の強さ”
手術が終わった夕方に
長いはずの手術は、想定よりずっと早く終わりました。
姉妹で顔を見合わせ、静かにうなずきながら、
病院内の小さな電話に呼び出されるのを待っていました。
「手術が終わりました。手術フロアの談話室に来てください。」
短く告げられた言葉で、
胸の奥がざわつくのをはっきり感じました。
談話室に入ると、主治医の先生が深い息をひとつつき、
ゆっくりと言葉を紡ぎ始めました。
がんは、想像以上に多臓器へと広がっていたこと。
すべてを取り除くには、母の体への負担が大きすぎること。
そして、取ったとしても「きれいになる」とは限らないこと。
結果として、先生は
**“胃の通り道が塞がらないようにするバイパス手術”**に切り替えてくれた。
「本人が、食べられなくて苦しまないように。
生活の質をできるだけ高められるように。」
医療専門の知識があるわけではなく、
何が正しくて何が最善なのか、判断する力は私たちにはありませんでした。
だからこそ、この先生の言葉に、
救われたような、沈んでいくような、複雑な思いが入り混じりました。
手術後の母の顔
病室に入ると、予想よりもずっと元気そうな母がそこにいました。
麻酔が覚めたばかりとは思えないほどよく話し、
いつものように、少し早口になりながら状況を確認しようとしていました。
「悪いところは、とれたんだね。
手術は成功したんだね。
頑張って、よくならないとね。」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥に小さく痛みが走りました。
母はまだ知らない。
今日の手術が「がんを取る手術」ではなかったことを。
知らないままでいていいのか。
いつか伝えるべきなのか。
それが母にとっての優しさなのか。
それとも、向き合うべき事実を隠しているだけなのか。
答えはすぐには見つかりませんでした。
病室に漂う静かな強さ
ふっくらとした頬。
目の力。
手の温度。
どれも、朝家で見たときと変わらないはずなのに、
パジャマ姿でベッドに横たわる母は、
やはり“病人”に見えました。
その現実が、じんわりと胸に広がりました。
悲しみでもあり、受け止めるべき現実でもある。
でもその一方で、
「頑張らなきゃね」と笑って言う母の声には、
術前よりも強い光が宿っているようにも感じました。
母は弱っていくのではなく、
別のかたちの強さを見せているのかもしれない——
そう思いました。
静かな帰り道に
夜、病院を出ると、
空は深い青に沈み、街灯だけが足元を照らしていました。
車を走らせながら、
心の中には静かな悲しみが広がっていました。
母にいつ、どう伝えるべきなのか。
伝えないほうが幸せなのか。
それが許されるのか。
そして、自分はどれだけ冷静でいられるのか。
手術が終わったことで、
現実がゆっくりと動き出したような感覚がありました。
ただ、その夜のわたしは、
母のあの笑顔と「悪いところは取れたんだね」と言った声だけを、
ずっと胸の奥で繰り返していました。
今、思うこと
手術の日は「判断を迫られた日」だったけれど、
手術後のこの日は「現実を受け取った日」でした。
🌿
希望と現実、母の思いと家族の葛藤——
その両方を抱えながら、
私たちは少しずつ、その先の日々へ歩き出していたのだと思います。

