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第30話|柿と柚子の季節——生き生きとした母が戻った日
秋が深まり始めた頃、
庭の柿の木に今年もたくさんの実がつきました。
色づき始めた橙色の実を眺めながら、
母はまるで毎年の合図を受け取ったかのように
嬉しそうに声を弾ませました。
「今年もきれいに実ったねぇ。
誰にあげようかしら。」
その表情は、病気がわかる前の母そのものでした。
訪れる人へ、嬉しそうに柿を手渡す母
近所の人や親戚が立ち寄ると、
母は張り切って玄関まで出て、
採ったばかりの柿を手渡していました。
「これ、美味しいから食べてみてね。」
「また取りに来ていいよ。」
そのやりとりは、
母にとって“季節の儀式”のようなものだったのだと思います。
病気になってから、
母が誰かに“何かを渡す”姿を
ほとんど見なくなっていました。
だからこそ、
この日の母の動きは特別に感じられました。
まるで生活そのものを
取り戻したような軽やかさがあったのです。
毎年楽しみにしていた柚子——今年は不作かと思っていたけれど
家の後ろにある柚子の木は、
母が毎年心待ちにしている存在でした。
秋になると決まって
「今年はどうかねぇ」
と枝を見上げ、
実が黄色く色づき始めると、
親戚やご近所に配る分を考えて
段ボール箱を用意し始めます。
けれど今年は、
木の下から眺める限り
あまり実っていないように見えました。
「今年は不作ねぇ…」
母が少し残念そうに呟いた翌日、
実際に収穫してみると——
そこには例年と変わらないほど
たわわに実った柚子がありました。
母は驚いて、嬉しそうに笑いました。
「ちゃんと実ってたんだねぇ…
よかった…本当に、よかった。」
その笑顔は、
この秋でいちばん明るい表情でした。
生き生きとした動作が戻る——仕分けし、数を数え、届け先をメモする
母は台所に新聞紙を広げ、
柚子をひとつひとつ丁寧に並べて数え始めました。
「これは〇〇さんに、
これは△△さんに。」
届ける相手を思い浮かべながら
仕分けをして、
日にちの段取りまで決めていました。
長年続けてきた行事が
そのまま今年もできる——
母にとってそれは
“生きている実感”そのものだったのかもしれません。
その手つきには迷いがなく、
久しぶりに見る
“生活をつくる母の姿”がそこにありました。
私も、その明るさにつられて
心が少し軽くなるのを感じていました。
この日を境に変わることを、まだ誰も知らなかった
柿を配り、
柚子を分け、
予定を立てていたこの頃は、
母にとっても、私たち家族にとっても、
“在宅生活で最も安定していた時期”でした。
それは、季節の実りと同じように
満ちていくような時間でもありました。
けれど振り返ると、
この日が
ひとつの節目だったのだと分かります。
楽しい行事が終わった喪失感だったのか、
急に冷え込んだ気候のせいだったのか——
このあと母の状態は
静かに、しかしはっきりと
これまでとは違う方向へと変わっていきました。
その変化を
このときの私たちは
まだ何ひとつ気づいていませんでした。
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