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第25話|季節が変わりはじめる頃——光の色と母の表情の移ろい
季節がゆっくりと変わりはじめる時期には、
家の中の光の色が、少しだけ違って見える瞬間があります。
2025年11月上旬。
朝の空気には秋の深まりと、冬の入口が混ざり合うような冷たさがありました。
その柔らかい光に照らされる母の横顔を見ていると、
病気が分かる前には気づかなかった変化が
小さく、でも確かに現れているように感じる日がありました。
光の色が変わると、母の表情も少し変わって見えた
朝、カーテンを開けたときに差し込む光が、
数週間前よりも少しだけ低く、
やわらかくなる季節。
その光が母の頬にふれると、
その表情が
落ち着いて見えたり、
寂しげに見えたり、
どこか遠くを見ているようだったり。
同じ母なのに、
光の角度ひとつで
こんなにも印象が変わるものなのかと
ふと立ち止まってしまうことがありました。
体調は安定していても、“季節の揺らぎ”は心に触れる
抗がん剤の4クール目を終え、
体調は概ね安定していた時期でした。
午前中には洗濯物を干し、
新聞を読み、
軽い家事もこなす。
外から見れば、
生活は落ち着いたリズムに戻ったように見えるかもしれません。
けれど、季節が変わる頃には
人の心もどこか揺らぐものなのでしょうか。
母が窓の外を眺めながら
「寒くなるね」と小さく言った声には、
ただの感想以上のものが
そっと忍び込んでいるように聞こえました。
季節の移ろいは、母の“今”を映す鏡のようだった
少し冷たい風の日には、
母は膝掛けを丁寧に整えて座り、
日差しが強い日には、
少し“ほっとしたような”表情を見せる。
季節の小さな変化に
母の表情や動作がほんのわずかに呼応しているのを感じながら、
私はその一つひとつに
静かに気持ちを寄せていました。
病気による揺らぎではなく、
季節が変わることによる揺らぎ。
それは、
「母の時間が生きて続いている」という
確かな証でもありました。
心が動く瞬間は、いつも生活の中にある
病気と向き合う日々の中では、
どうしても治療や体調に意識が向かいがちですが、
人が何を不安に思い、
何を希望にするのかは、
大きな出来事ではなく、
生活の中のほんの小さな変化に宿っているのだと
この頃の母を見ていて思いました。
光の色、
風の冷たさ、
陽だまりの中で静かに息をつく姿。
そのどれもが、
“母の今”を映す鏡のようで、
私はそれを見つめながら
胸の奥にゆっくりと波のような気持ちが広がっていくのを感じました。
季節が変わる頃に感じるその揺らぎは、
悲しさでも、嬉しさでもなく、
ただ「生きている」ことの証そのものでした。
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