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第8話|在宅か施設か——家族で考えた“これからの暮らし方”
母が望んでいたのは「家に帰る」こと
退院の予定が見えてきた頃、
私たち姉妹の中にはひとつだけ “はっきりしていたこと” がありました。
母は、家に帰りたがっている——。
最初に病気が告げられた日、
近所の個人病院で
「これから一人暮らしは難しくなりますよ」と言われた時でさえ、
母は静かに、自分の家で暮らす未来だけを見つめていました。
施設に入るという考えは、
母の中には最初から存在しなかったのだと思います。
施設を「勧めなかった」のではなく、勧めることができなかった
ただ、よくよく振り返ると、
それは在宅を強くすすめたというより、
“施設を勧めることができなかった” のかもしれません。
母は長く一人暮らしを続けながら、
70歳を過ぎる頃まで
准看護師の資格を活かして介護施設で働いていました。
誰かを支える側として過ごしてきた年月。
ようやく仕事から離れ、
自分の時間を少しずつ楽しみ始めた矢先の、突然の病気でした。
その背景を思うと、
私たちの中には “負い目” のようなものがありました。
元気だから大丈夫だと、どこかで甘えてしまっていたこと。
母の生活に踏み込みすぎないことで、
安心しているふりをしていた部分があったこと。
だからこそ、
「施設も考えてみようか」と口にすることが、
母の人生を否定するように感じてしまい、
どうしても言えなかったのだと思います。
余命を知らされた時、家族の気持ちはひとつになった
さらに、診断のときに告げられた
「おそらく余命は半年ほど」
という言葉も、私たちの迷いを静かに押しとどめました。
その限られた時間を、
できるだけ母が望む形で過ごしてほしい——。
その気持ちは、3姉妹の間で自然に一致していきました。
幸い、私たちは同じ市内に住んでいて、
仕事や家庭の合間を縫えば支え合える距離にいました。
「今なら、家族でなんとかやっていけるかもしれない」
「せめて、母が望む場所で過ごしてほしい」
そう思うことは、ごく自然でした。
施設探しをしなかった理由
だから私たちは、
施設のパンフレットを取り寄せることもなく、
選択肢を並べて比較することもしませんでした。
悩んで決めたというより、
母の意思が道をつくり、
私たちが自然とその道を歩いていった
というほうが近い気がします。
在宅が正しい、施設が間違っているという話ではありません。
ただ、
「当時の私たちは、この選択が“できた”家族だった」
というだけのこと。
私たちに可能だった選択が、
母の望みと同じ方向を向いていた——
それが在宅でした。
不安と安心のあいだで揺れながら
もちろん、在宅を選ぶということは
大きな負担を伴います。
できることと、できないこと。
自信と不安が交互に押し寄せる日々。
それでもその奥に、
小さく灯る“納得に近い安心”がありました。
母が「家に帰りたい」と言ったから。
長く働いてきた母が、
ようやく自分の時間を取り戻せる場所として選んだのが、
自分の家だったから。
ただその気持ちを、
私たちは信じたかったのだと思います。
“家で支えていく”という選択
こうして私たち家族は、
自然な流れのままに
“家で支えていく”という選択
をしました。
これからどんな困難が待っているのかは、まだわからない。
けれど、母の「帰りたい」という言葉が、
新しい生活の第一歩をそっと押してくれたのは間違いありません。

