第1話|親のがんがわかった日——あの日から時間の流れが変わった
新緑の季節に
2025年5月22日。
その日、母の病気が「がん」だと診断されました。
4月29日の誕生日、毎年恒例の姉妹での食事会。
その席で「食欲がない」とこぼしていた母の言葉を、
そのときは軽い疲れだと思っていました。
5月11日の母の日、
小さなコチョウランを手渡したときにも、
「ちょっと調子が悪くてね」と笑っていた母。
翌日からは近所の個人病院を受診し、
そのまま紹介状を持って大きな病院へ。
わずか数日で、診断が確定しました。
静かな告知の時間
医師の言葉を聞いても、
その瞬間は現実味がありませんでした。
どこかで「まだ先のこと」だと信じていたのかもしれません。
それでも、思っていたよりも早くに訪れた現実に驚き、
もっと早く検診を受けさせればよかったという後悔が押し寄せました。
診断の前、担当医の先生から
「病名をどこまで本人に伝えるか」確認がありました。
今は本人への告知が一般的と聞いていたものの、
突然の知らせに母がどんな反応を示すかを思うと、
その心遣いがありがたく感じました。
家族で話し合った結果、
病名だけを伝え、進行の状態など詳しい内容は伏せてもらうことに。
母の性格を考えると、それがいちばん穏やかな選択だと思いました。
母は黙って聞いていました。
もともと感情を表に出さない人です。
必要のないことはよく話すけれど、
本音や弱音は決して人前に見せない。
姉たちは、私よりもずっと感情的に見えました。
それでも、言葉にできない静けさが部屋に流れていて、
誰もがそれぞれの方法で「現実」と向き合おうとしていた気がします。
どうして母が
どうして母が—。
その後の数日間、その問いが頭の中を何度も巡りました。
母は81歳。
温厚そうに見えて、実は負けん気が強く、我慢強い人。
これまで大きな病気も入院もなく、薬さえほとんど飲んだことがない。
そんな母が、ある日突然 “患者” という言葉の中に置かれた。
母の人生を思えば、苦労の連続だったと思います。
女手ひとつで姉妹3人を育て上げ、
支えを求めるよりも、自分の力で生活を整えてきた人。
だからこそ、「なぜ母が」という思いは、
単なる驚きやショックとは別のところにあった気がします。
その理由については、
家庭環境の背景も含めて、いずれ別の回で書きたいと思います。
そんな母がどうして—と考えるたび、
「冷静でいなければ」と自分に言い聞かせていた自分がいました。
あの日から半年たって
あれから半年。
春の新緑は夏の日差しに変わり、気づけば木々が色づく季節になりました。
季節がゆっくりと進むように、心の中の時間も少しずつ動き出しています。
今振り返ると、
あの日のわたしに伝えたい言葉は「まだ大丈夫」ではなく、
「どうか今の気持ちを、もう少し丁寧に残して」と言いたい。
あの頃は、状況を正しく理解し、
情報を整理して次の行動を決めることが最優先でした。
目の前の現実に向き合うことで精一杯で、
湧き上がる感情を深く見つめる余裕がほとんどありませんでした。
でも今思えば、
驚きや不安、戸惑いといった“その瞬間にしか触れられなかった気持ち”こそ、
後になって自分の視野を広げるための材料になるのだと知りました。
人生の終わりはいずれ順番に訪れると、
頭では理解していても、心の整理はそう簡単にはいきません。
家族であっても、それぞれが独立した大人であり、
そこには微妙な距離と、揺れる感情が確かに存在します。
病気の母を尊重したい気持ちと、
自分の生活・仕事・感情をどう保つか―
そのバランスの難しさが、この半年で一番感じたことかもしれません。
冷静であろうとした自分を責めるつもりはないけれど、
もしもう一度あの日に戻れるなら、
心が動いた事実を、ほんの少しだけでも
言葉に残しておきたいと思うのです。
今のわたしから
あの日から、時間の流れが変わりました。
これまで当たり前に過ぎていた日常の一つひとつに、
「終わり」という言葉の影が差した瞬間でもあります。
けれど同時に、
“今”という時間の尊さを知るきっかけにもなりました。
心の準備なんて、きっと誰にもできない。
それでも人は、その日を迎えながら、
少しずつ強くなっていくのだと思います。
🌿 まだまだ先だと思っていたことが、ある日突然、現実になる。
それでもー人はその現実の中で、生きていく。

