第52話|台所の記憶——初めて気づいた“母という人”

第52話|台所の記憶——初めて気づいた“母という人”

第52話|台所の記憶——初めて気づいた“母という人”

台所に立たなくなったあとで

母が台所に立たなくなってから、
その場所は
以前とは少し違って見えるようになりました。

使われなくなったまな板。
伏せたままの鍋。
引き出しの奥に残る
細かな道具たち。

何かが足りない、
というよりも、
時間が止まっているような感覚でした。


思い出そうとしても、出てこない

不思議なことに、
その台所に立っても、
昔の記憶が
次々によみがえるわけではありませんでした。

「母はこういう料理をしていた」
「いつもここに立っていた」

そうした場面が、
はっきりと思い出されるわけではない。

ただ、
ここに“母の時間”が
確かに積み重なっていたことだけが
静かに伝わってきました。


母としてではなく

これまで、
私はずっと
「母」としての母を見てきたのだと思います。

家事をする人。
家を回す人。
当たり前に、そこにいる存在。

けれど、
使われなくなった台所を前にして、
初めて、
母が一人の人として
この場所に立っていたのだと
感じました。

誰かのために、
日々を積み重ねていた人。

それが、
役割としてではなく、
一人の人生として
目に入ってきた瞬間でした。


残っているもの

特別な思い出が
よみがえらなくても、
特別な感情が
湧き上がらなくても。

台所には、
母が生きてきた時間の痕跡が
静かに残っていました。

それは、
語られることのない歴史で、
説明のいらない存在感でした。


今、ここから見る母

母が台所に立っていた時間と、
今、ベッドで過ごしている時間。

そのどちらもが、
母の人生の一部で、
切り離すことはできません。

ただ、
今の私には、
その両方を
同じ線の上で見ることが
できるようになっていました。

母という役割の奥に、
一人の人がいた。

そのことに
ようやく気づいた——
そんな時間でした。

第51話|母の手を見つめる——時間が連れてきた気づき
第53話|寄り添うということ——過不足のない距離を知る