第45話|食べる量が変わった日——“少しでいい”という合意

第45話|食べる量が変わった日——“少しでいい”という合意

第45話|食べる量が変わった日——“少しでいい”という合意

食事の形が変わっていく

この頃になると、
母の食事の量は、はっきりと少なくなっていきました。

以前のように
ダイニングテーブルにつくことはなく、
ベッドの上で、
ほんの数口。

一口、二口。
それだけで、
今日はもういい——
そんなふうに、
静かに終わりを知らせるようになりました。


勧めることが増えていた頃

当初は、
高カロリーの介護用ドリンクを勧めてみたり、
母が好きだったものを
いくつか並べてみたりしました。

「これならどう?」
「少しだけでも」

リクエストを聞いて作ってみることもありました。

その時は、
できることをしているつもりでした。
食べてほしい、という気持ちよりも、
何もしないでいることのほうが
落ち着かなかった
のかもしれません。


後から気づいたこと

けれど、
今振り返ってみると、
それらの一つひとつが
母にとっては
少しずつ負担になっていたようにも感じます。

選ぶこと。
応えること。
期待に応じること。

それ自体が、
この頃の母には
もう重たくなり始めていた——
そんなふうに思えるようになりました。


勧めないという選択

「もう少し食べられる?」
そう声をかけることは、
簡単でした。

けれど、
その一言が
母の力を使わせてしまうことも、
見ていれば分かりました。

食べることが
頑張る対象にならないように。

私たちは、
無理に勧めないことを
選ぶようになっていきました。


“少しでいい”という合意

「今日はこれでいいね」
「うん、それでいい」

そんなやりとりが、
自然に交わされるようになりました。

量を取ることより、
口にできたという事実を
大切にする。

“ちゃんと食べる”から、
“少しでいい”へ。

その合意は、
言葉にしなくても
互いに共有されていました。


食べない=何もない、ではない

食事の量が減っても、
母の一日が
空白になるわけではありませんでした。

新聞を読む。
少し目を閉じる。
声をかけられれば、
短く返す。

食べる量が減ったからといって、
生活そのものが
消えていくわけではない——
そのことを、
日々の中で確かめていました。


“できること”に目を向ける

どれだけ食べられたか、
という視点から、
今日、何ができたかへ。

視点が変わると、
見えるものも変わります。

一口でも、
口にできたこと。
飲み込めたこと。
そのあと、
穏やかに過ごせたこと。

それらを、
その日の“十分”として
受け取るようになっていきました。

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