第34話|“今”を生きるための選択——母が決めたこと
抗がん剤の5クール目を終えた頃、
大きな病院の診察でも、
訪問診療の先生との時間でも、
同じような問いが静かに差し込むようになりました。
「これから、どんなふうに過ごしたいですか」
「どこで最期を迎えたいと考えていますか」
決して深刻な空気ではありませんでした。
治療の節目にはよくある、ごく自然な確認——
そんな流れのなかで交わされた問いでした。
母の前でも、隠さずに話が進められました。
けれど、母は驚く様子も、戸惑う様子もありませんでした。
ただ、少し考えるように目線を落として、
それからゆっくりと言いました。
「できるだけ家にいたいのよ。
でも、最後は……病院でも仕方ないのかもしれないね」
はっきりした意思というより、
“そう思っているらしい” という雰囲気に近い言葉。
家にいたい。
ただ、どこかで病院に行くことも受け入れざるを得ない。
そのあいだで揺れながらも、
母なりに自然に答えを出した——
そんな印象でした。
その話題が出ても、「まだ先のこと」と思っていた
そのとき私も、姉妹も、
この問いが“今すぐ答えを迫る話”だとは感じていませんでした。
治療は続き、
生活の中にもまだ楽しみがあり、
母は日によってはしっかりと動けていました。
だから私たちは、
未来の話をしながらも、
どこかで 「まだまだ先の話」 だと思っていました。
話題としては確かにそこにあった。
だけど、感情としてはまだ追いついていない——
その距離感のまま、会話は静かに終わりました。
“諦める” ではなく “今を生きるための方向づけ”
母が治療を続けると言った理由も、
その延長線上にあるように思えました。
治療をやめることが
「生きることを諦める選択」に見えてしまうこと。
薬を続けることで日々にリズムが生まれ、
“まだ進んでいる” という実感が持てること。
そのどれもが、
母にとっては “今を生きるための支え” になっていたのかもしれません。
私もそれを否定する理由はありませんでした。
むしろ、母の選択に寄り添うことでしか、
母の生活は守れないと感じていました。
治療を進めるかどうかを決めたというよりは、
これからも「今日を生きる」形を探していく——
そんな静かな方向づけを
母が決めた日でした。
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