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第24話|午前中の静けさ——家で過ごす“ふだんの母”に触れる時間
朝の光がゆっくりと家に入ってくる時間がありました。
その柔らかい明るさに触れるたび、
私はふと、病気になる前の母の生活の気配を思い出していました。
自分の手で“朝の仕事”を取り戻していく母
体調が落ち着いてきた頃の母は、
午前中に自分で洗濯物を干し、
庭の草花に水をあげることを
当たり前のようにこなしていました。
新聞をくまなく読むことも、
母にとって長年の“生活のリズム”で、
病気の前と同じように
ゆっくりと紙面に目を通していました。
その姿を見るたび、
「ああ、母はやっぱりこうやって暮らしてきたんだな」
と静かに思っていました。
朝ごはんの支度をしたがる母と、初めて並んだキッチン
ある朝、母は
「味噌汁くらい作れるわよ」
と言って、並んで台所に立ちました。
包丁を持つ手はゆっくりでしたが、
味噌の加減や具材の切り方は
何十年と積み重ねてきた“自分の流儀”そのものでした。
別の日には、
「きんぴらごぼうを作りたい」と言い、
硬いごぼうに苦戦しながらも、
それでも自分で作ろうとしていました。
その時、ふと気づいたことがあります。
母と一緒にキッチンに立つのは、これが初めて
だということに。
私たちは子どもの頃からどちらかというと
それぞれに自立していて、
家族で過ごす時間は多い方ではありませんでした。
同じ場所に立って、
同じ作業をして、
同じ湯気を見上げる——
そんな瞬間が、これまでほとんどなかったのです。
その事実に気づいたときの静かな驚きと、
少しの温かさと、
ほんの少しの切なさを
今も鮮明に覚えています。
“元の一人暮らしに戻るために”という母の言葉
この頃の母はよく言っていました。
「自分で何でもできるようにならないとね。
元の生活に戻らなくちゃ。」
その言葉には、
“前の自分に戻りたい”という希望と、
“戻れるのだろうか”という不安の両方が
静かに混ざっていたように思います。
けれどその姿勢は、
母らしい前向きな強さでもありました。
生活のひとつひとつを
自分の手で確かめるようにこなしていく姿に、
私はいつも胸の奥がじんと温かくなるようでした。
午前中の静けさに宿っていたもの
洗濯物が風に揺れる音、
新聞をめくる柔らかい紙の音、
台所で味噌汁が小さく沸く音。
そのどれもが、
“病気になる前の母の時間”が
家の中にゆっくり戻ってきているように感じられました。
その感じていた安心は、
単に体調が良いからではなく、
母が母としての時間を
もう一度“自分の力で”取り戻していく
その過程に触れられていたからなのだと思います。
そして同時に、
この午前中の光景がいつか形を変えるかもしれない——
そんな予感のようなものも
淡く心の奥にありました。
だからこそ、
洗濯物の揺れる音や、
新聞の紙のすれる気配が、
いつもより少しだけ鮮明に感じられたのかもしれません。
今振り返ると、
この時間は
“母が生きている今”を、私が確かめていた時間
でもあったのだと
静かに思うのです。
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