目次
第19話|家族の役割分担——姉妹で支えるということ
在宅生活が始まってしばらくの間、
私たち三姉妹は、それぞれの生活を縫うようにしながら、
できる範囲のことを自然と分け合っていました。
仕事の休みを調整し、
家事を早めに済ませ、
家族の予定を組み替えながら、
夜は交代で実家に泊まる。
その日そのとき動ける人が動く、というよりは、
1ヶ月単位であらかじめ“ゆるやかなシフト”のように日にちを決めておき、
それに沿って淡々と生活を回していく——
そんなリズムがいつの間にかできていました。
誰が指示したわけでもなく、
自然とその形に落ち着いていったように思います。
その流れに身を任せながらも、
それぞれの心は、静かに揺れていました。
同じ「支える」でも、少しずつ形が違っていた
三人とも母を大切に思っている。
その気持ちは変わらないはずなのに、
置かれている状況はみな少しずつ違います。
仕事、家の事情、住んでいる場所、体力そして性格。
その違いは、自然と“できることの差”となって現れました。
本来なら当然のことなのに、
日々が慌ただしい時は、
その当たり前さえ見えづらくなる瞬間がありました。
温度感が揃わない時期があった
母の体調が安定している時期は、
多少の行き違いがあっても
「まぁ、そんな日もあるよね」と流せました。
けれど不安定な時期には、
ごく小さな温度差が
思っていた以上に重く感じられることがありました。
急ぎの連絡が思うように伝わらなかったり、
それぞれの受け止め方の違いが動きのタイミングをずらしてしまったり。
誰が悪いということではなく、
心に余裕がなくなると、
わずかな噛み合わなさが
静かに負荷として積もっていく——
そんな時期がありました。
「自分の負担が大きいのでは」と感じた日もあった
母のためにできることをしたいと思う一方で、
ふとした瞬間に、
自分の動きが少し多いのでは、と感じる日もありました。
その気持ちは、
誰かを責めたいわけではなく、
ただ自分の中の余白が減っていくサインのようなものだったのだと思います。
介護に向き合う日々の中には、
そうした静かな揺れが
自然と混じり込んでいました。
「できる人が」「できる時に」支えるという気づき
在宅生活が続く中で、
私は次第に、ある一つの考えに
静かに行き着きました。
支えるというのは、
“同じ量を均等に分け合うこと”ではないということ。
時間に余裕がある人が前に出る日もあれば、
心に余白がある人が
自然と役割を引き受ける日もある。
反対に、
自分が下がらざるを得ない日もあっていい。
その揺らぎごと、
その流れごと、
受け入れていけばいい。
「できる人が、できる時に支える」
その言葉が静かに胸の中に落ちていった時、
すこし緊張していた気持ちが
ふわりと緩むのを感じました。
小さな摩耗という現実
とはいえ、
在宅で支える日々には
どうしても小さな摩耗が生まれます。
母の体調の波、
急な変化、
仕事の予定、
自分の家庭との調整。
一つひとつは小さくても、
積み重なると気持ちがわずかに削れていく——
そんな感覚が確かにありました。
その摩耗の正体は、
“支えたい気持ち”と
“支えきれない現実”のあいだで
ゆっくり揺れる心でした。
「ひとりで抱えない」という選択を、少しずつ
役割分担は、母の生活を守るためでもあり、
私たち自身の暮らしを整えるためでもありました。
無理をしすぎないこと、
抱え込みすぎないこと、
助け合いながら進むこと。
そうして少しずつ、
“ひとりで背負わない”という在り方が
自然にできるようになっていきました。
支えるというのは、
同じ量を持つことではなく、
同じ方向を見ること。
そのことに気づいたのは、
ちょうどこの頃だったように思います。
← 第18話|良い日と悪い日——体調の波と、家族の戸惑い
第20話|私自身の生活の変化——気づかないうちに削られていくもの →

