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第18話|良い日と悪い日——体調の波と、家族の戸惑い
在宅生活が始まってしばらくすると、
母の体調には “波” があることが
少しずつ見えてきました。
驚くほど落ち着いて過ごせる日がある一方で、
目に見えて力が入らず、
食欲も気力も遠ざかってしまう日もある。
そのゆらぎは、
天気のように前触れなく訪れました。
「今日は大丈夫そう」——光が差したような日
ある日は朝から表情が明るく、
「今日はいい天気ねえ」と
穏やかに笑う母がいました。
そんな日は、
ほんの少しの会話でも
“以前の母” がふっと戻ってきたように感じられて、
胸がじんわり温かくなります。
ベッドから起き上がる動きが軽く見えたり、
湯呑みを持つ手に力が戻っていたりすると、
こちらまで前向きな気持ちになりました。
夏の頃の母は、体調の良い朝には
まだ薄暗い朝5時前に起きて、
大切にしている庭の花や木に
ゆっくりと水をやったり、
枯れた葉をそっと摘んだりしていました。
その姿は、
「暮らしている」という実感を
誰よりも静かにまとっているようでした。
「また今日も、いい一日になりますように。」
そんな小さな祈りを
胸にそっと置きたくなるような朝でした。
突然訪れる“悪い日”——影のように静かに落ちてくる
けれど、
その翌日には、
まるで別人のように言葉数が減り、
ベッドから起き上がるのも辛そうな日がありました。
食事を前にしても箸が進まず、
何度もため息をつくようにして
横になってしまうこともありました。
その姿を見るたびに、
“昨日の笑顔” が遠いもののように感じられて、
胸の奥がそっと沈んでいきました。
母自身も
「今日はちょっと…だるいねえ」と
自分の体調の揺れを説明しようとするのですが、
その声には戸惑いが滲んでいました。
良い日と悪い日が
こんなにも交互にやって来るなんて——。
この波は、
ただの疲れなのか、
薬の副作用なのか、
病状の変化なのか。
分からないまま見守る時間は、
気持ちが静かに削られていくようでした。
一喜一憂してしまう自分たちに、気づく
母の体調が回復した日は
ほっと胸を撫で下ろし、
翌日に悪化すると
不安が押し寄せる。
そんな自分たちの気持ちの揺れに
ある日ふと気づきました。
「わたしたちは、
母の体調の波に
そのまま心が揺らされているのかもしれない」
まるで、
母の一日の体調に
家族の心がそのまま連動しているようでした。
良い日はずっと続いてほしい。
悪い日はできるだけ短く終わってほしい。
そう願うのはごく自然なことなのに、
その願いが知らないうちに
私たちを少しずつ苦しめていたように思います。
良い日が来ると、
「このまま何年も続くんじゃないか」
そんな淡い期待が胸のどこかに生まれます。
でも、悪い日が来ると、
途端に現実がせり上がってくるように感じて、
「余命の宣告どおりなのだろうか」
という考えが一瞬よぎってしまう。
そのたびに、
希望と不安が行き来する道の上に立っているような、
どこにも着地できない感覚になりました。
“良い日” と “悪い日” は、
単なる体調の波ではなく、
私たち家族の心の波でもあったのだと思います。
波を“ただの波”として受け止められるようになるまで
訪問看護師さんに相談したとき、
やさしくこう言われました。
「波があるのは自然なことですよ。
それが“いまの状態”なんです。」
その言葉に、
胸につかえていたものが少しだけ軽くなりました。
良い日と悪い日は、
母が今を生きている証であり、
その揺れ自体が決して“異常”ではない。
そう思えるようになるまでには
少し時間がかかりましたが、
受け止め方が変わるだけで、
心の負担もゆっくりと変わっていきました。
私たちは、
母の体調の波を止めることはできません。
けれど、
その波に飲まれずに見守れる日が増えていくこと——
それが在宅生活の中で
ひとつの小さな成長だったのかもしれません。
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